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長持形石棺

 板材を組み合わせて作られた古墳時代の石製のひつぎ。全体に収納具の長持に似ていることから、こう呼ばれている。兵庫県には長持形石棺の材として多く利用された竜山石の産地があることから、その周辺地を中心にして多く見つかっている。中期には大王のひつぎとして採用された。

No. 遺跡名 所在地 石棺 墳丘等 文献名
1 壇場山古墳 姫路市御国野町国分寺 上面露出 全長140mの前方後円墳 梅原末治 1924「播磨壇場山古墳の調査」『人類学雑誌』第39巻第2号
2 山之越古墳 姫路市御国野町国分寺 上面と短側石露出 一辺50mの方墳 梅原末治 1924「播磨壇場山古墳の調査」『人類学雑誌』第39巻第2号
3 櫛之堂古墳(第2古墳) 姫路市御国野町国分寺 棺身の短側石のみ露出 直径20m以上の円墳か ・浅田芳朗 1975『播磨国分寺周辺の史跡』はりま風土記の里資料調査団・間壁忠彦・間壁葭子 1975「石棺研究ノート(三)長持形石棺」『倉敷考古館研究集報』第11号 財団法人倉敷考古館
4 玉丘古墳 加西市玉丘町水塚 後円部に破壊された石棺が散乱 全長105mの前方後円墳 梅原末治 1932「富合村玉丘古墳」『兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告』第9輯 兵庫県
5 経塚古墳 加西市中富町 造成時に2基の石棺露出。埋戻し 直径28mの円墳 ・加西市教育委員会 1979『加西の文化財 改訂版』・立花 聡 1993「加西市の石棺Ⅱ」『小谷遺跡(第4次)』加西市教育委員会
6 雲部車塚古墳 篠山市東本荘字車塚の坪 発掘後埋戻し 全長139mの前方後円墳 池田正男 2002「何人カノ筆ニ成ル雲部車塚古墳」『兵庫県埋蔵文化財研究紀要』兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所
7 (五色塚古墳) 神戸市垂水区五色山 近世地誌に石棺露出の記述 全長194mの前方後円墳 櫃本誠一・松下 勝 1984『日本の古代遺跡3 兵庫南部』保育社
8 (国分寺天満神社境内歳徳社)壇場山古墳前方部天満社から平成11年移築 姫路市御国野町国分寺 長側石の一部、縄掛突起(祭祀対象) 陪塚の一つ「藤塚」にあったという ・浅田芳朗 1975『播磨国分寺周辺の史跡』はりま風土記の里資料調査団・間壁忠彦・間壁葭子 1975「石棺研究ノート(三)長持形石棺」『倉敷考古館研究集報』第11号 財団法人倉敷考古館
9 (林堂路傍) 姫路市御国野町国分寺 棺蓋残欠、縄掛突起(所在不明) 不明 浅田芳朗 1977「組合式長持形石棺覚書─粗描的なる知見の整理─」『神戸女子大学紀要』№6 神戸女子大学
10 (地蔵堂) 姫路市別所町小林 底石か、縄掛突起(祭祀対象) 不明 間壁忠彦・間壁葭子 1975「石棺研究ノート(三)長持形石棺」『倉敷考古館研究集報』第11号 財団法人倉敷考古館
11 (地蔵院) 姫路市京町 長側石(石棺仏) 不明 間壁忠彦・間壁葭子 1976「「長持形石棺」補遺」『倉敷考古館研究集報』第12号 財団法人倉敷考古館
12 (姫路市立動物園) 姫路市本町68 棺身の短側石断片 不明 松本正信 1990「播磨産石棺に関する覚え書き」『今里幾次先生古稀記念 播磨考古学論叢』今里幾次先生古稀記念論文集刊行会
13 (地蔵堂) 高砂市阿弥陀町豆崎 底石か、縄掛突起(祭祀対象) 不明 間壁忠彦・間壁葭子 1975「石棺研究ノート(三)長持形石棺」『倉敷考古館研究集報』第11号 財団法人倉敷考古館
14 (山伏峠) 加西市玉丘町 棺蓋(石棺仏) 不明 梅原末治 1932「富合村玉丘古墳」『兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告』第9輯 兵庫県
15 (玉丘・祇園山1号周濠肩の集石) 加西市玉丘町 長側石か。長持形石棺でない可能性も 直径40mの円墳か  
16 (いずし古代学習館) 出石郡出石町 短側石、蓋の一部 不明 ・武藤 誠 1934「出石町所在の長持形石棺の遺材」『兵庫県史蹟名勝天然記念物調査報告』第10輯 兵庫県・但馬考古学会 1985「但馬の長持形石棺」『古代学研究』第107号 古代学研究会
17 (高田地区墓地) 朝来郡和田山町高田字垣根 蓋の一部 不明 但馬考古学会 1985「但馬の長持形石棺」『古代学研究』第107号 古代学研究会
18 時光寺古墳 高砂市時光寺町 蓋石 直径約40m 平成19年度市教委発掘調査を実施

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