豊地城跡(といちじょうあと)
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調査期間 平成21年11月9日~平成22年3月17日
調査面積 4,040㎡
調査原因 (主)神戸加東線交通安全地区一括統合補助事業に伴う発掘調査
※平成22年3月27日(土)、当館で行われる発掘調査報告会で、急きょ追加発表をされます!
沖代遺跡
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沖代遺跡は揖保郡太子町沖代にあり縄文時代晩期から平安時代にかけての集落遺跡として知られています。県道網干停車場新舞子線建設に伴って発掘調査を行いました。調査した場所は遺跡の中心部の西側にあたります。
発掘した面積は176㎡と狭い範囲の調査でしたが、縄文時代から江戸時代にかけての遺物や遺構が見つかりました。
古代山陽道から駅家への進入路と唐居敷を発見!(賀古駅家・古大内遺跡)
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古代に都と地方を結ぶ官道は7道ありました。飛鳥時代に整備されたとされています。このうち大宰府とを結ぶ山陽道は最も重要とされ、唯一「大路」と規定されています。その山陽道のなかでも加古川市野口町にあったとされる賀古駅家は40頭の馬を備えた最大規模の駅家であったようです。
当館ではその構造や性格を明らかにするため発掘調査を実施しています。
ホタル舞う清流に臨む古代のムラ
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今回の調査では、弥生時代および平安時代前半の、遺構と遺物がみつかりました。遺構ごとに年代を特定することはむずかしいのですが、柱穴・土坑・溝などがありますので、それぞれの時代に集落が営まれたのでしょう。
但馬国最大の前方後円墳。渡土堤と鳥形埴輪を発見!(池田古墳)
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所在地 朝来市和田山町平野
調査面積 1,434㎡
調査開始日 平成20年11月17日
国土交通省近畿地方整備局豊岡河川国道事務所が行う一般国道9号沿道環境改善事業に伴う発掘調査です。昭和45年に国道9号線を整備した際に古墳を跨ぐ橋で保存されてきましたが、このたび橋をつけかえるため発掘調査が実施されました。
古墳時代から平安時代の集落跡(西柄遺跡・宮ノ前遺跡)
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一般国道2号相生有年道路の建設に伴う発掘調査。
対象面積は約1,780㎡。
2月8日(日)に現地説明会を開催します。
鳥居城跡~大規模な土木工事を行った戦国時代の城郭~
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兵庫県但馬県民局県土整備部豊岡土木事務所による、一般国道482号鳥居橋橋梁整備事業に伴う鳥居城跡発掘調査(豊岡市出石町鳥居、約1,350㎡)を、兵庫県立考古博物館が昨年10月から実施している。
飛鳥時代の寺院(市之郷廃寺)の仏堂跡を発見!(姫路駅周辺第3地点)
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ものづくり大学校(仮称)の建設に伴う調査。
現在西半分の調査を終え、東側(東区)を調査中。
弥生時代から古墳時代の竪穴住居跡が多数見つかっています。
西側で見つかった市之郷廃寺に関連する遺構は区画溝以外は現在のところ確認できたいません。
飛鳥時代の大型掘立柱建物跡群を検出。市之郷廃寺関連の遺構か?
(仮称姫路駅周辺第3地点遺跡)
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飛鳥時代の竪穴住居跡や大規模な掘立柱建物跡を計10棟以上検出されているが、特筆すべきは、一辺約1mの方形の柱穴から構成される大型の掘立柱建物が数棟認められることである。
調査地の東隣は7世紀中頃創建と考えられる市之郷廃寺の所在地であることが推定されることから、今回の調査で検出された掘立柱建物は、市之郷廃寺創建の直前あるいはほぼ同時期に位置付けられるもので、市之郷廃寺との関係が大いに考えられる。
なお、当該時期の掘立柱建物跡がまとまってみつかるのは、県内では大変珍しい。
弥生時代の土器作りの粘土採掘坑を検出。近くに集落が存在か?
英賀保駅周辺遺跡第4地点(国土交通省)
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姫路バイパスの側道整備に伴って調査を行っている。弥生時代から中世にかけての遺跡である。
古墳時代後期の典型的な横穴式石室をもつ古墳(山際古墳)
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一般国道483号北近畿豊岡自動車道和田山八鹿道路の建設に伴って調査されている。古墳は八鹿インターチェンジが建設される場所にあたる。遺跡は八木川の右岸の河岸段丘上にある。周辺には米里遺跡、八木川をはさんだ対岸には県指定史跡国木とが山古墳群があり、奈良時代には古代山陰道が近くを通過するなど、古くから開発されていた地域である。
式内社高岳神社に隣接する中世の集落跡(今宿遺跡)
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緊急街路事業山吹線に伴って調査を実施中。数年にわたり調査が行われてきた最終年度である。調査面積は約1,000平方メートル。これまでの調査から遺跡の中心は当該地区より南に500メートル付近か。
県内初!造出しを持った方墳の調査(東沢1号墳)
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東播磨南北道路の建設に伴って発掘調査が実施中である。ここは、かつて塚から銅鐸が発見された場所として知られている。そこに新しく設けられた塚を望塚(ぼんづか)と呼び、地元の人々の手で祀られ、その由来を今に留めている。
但馬地方の谷あいに営まれた律令期の窯跡(小河江窯跡)
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奈良時代の窯跡
窯跡の前面の灰原は厚く堆積し、窯本体の改修も確認できることから、短期間の操業ではないと思われる。操業の時期はおよそ8世紀後半と考えられ、但馬地方の律令期のなかでも最も後出のものと考えられる。
鉄道の下に残された弥生時代の集落跡(西延末遺跡)
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弥生時代~古墳時代の集落跡を確認した。これまでの数次にわたる調査の成果とあわせて考えると、西延末遺跡は弥生時代後期から連続して営まれた集落遺跡で、現在のJR山陽本線の高架下あたりが遺跡の南限であることが明らかとなった。
日本の“中心”にある、弥生時代末の集落跡と粘土採掘坑(津万遺跡群)
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遺跡は「日本のへそ公園」の近くに位置している。調査された区域は近隣の大垣内遺跡の縁辺部にあたると考えられる。粘土採掘坑からは、良質の粘土が採掘されており、この粘土を使用して土器を焼成したところ、遺跡内で出土した物と酷似した仕上がりのものになった。















