沖代遺跡
沖代遺跡は揖保郡太子町沖代にあり縄文時代晩期から平安時代にかけての集落遺跡として知られています。県道網干停車場新舞子線建設に伴って発掘調査を行いました。調査した場所は遺跡の中心部の西側にあたります。
発掘した面積は176㎡と狭い範囲の調査でしたが、縄文時代から江戸時代にかけての遺物や遺構が見つかりました。
| 遺跡名 | 沖代遺跡 |
|---|---|
| 時代 | 縄文時代~鎌倉時代 |
| 遺跡の種類 | 集落跡 |
| 所在地 | 揖保郡太子町沖代 |
| 調査担当者 | 調査第1班 渡辺 昇 |
| 現地説明会 | なし |
| 連絡先 | |
| 発掘成果 | 主な遺構面は上下2面検出し、上層面からは古墳時代後期(約1400年前)の竪穴住居跡2棟、下層面からは弥生時代後期(約1800年前)の集落の周囲を巡る大溝、古墳時代前期(約1600年前)の竪穴住居跡1棟などの遺構が見つかりました。これらの下層の遺構は古墳時代後期の洪水によって埋没しています。 鎌倉時代になると掘立柱建物が建てられ、江戸時代には水田となって現在に至っています。縄文時代の遺構は見つかりませんでしたが土器のかけらが出土しています。縄文時代晩期(約2500年前頃)のものと思われます。 沖代遺跡の周辺には、弥生時代後期から古墳時代にかけての注目すべき遺跡が多く存在しています。竪穴住居跡などが密集して見つかり、地域の中心的な集落である和久(わく)遺跡(いせき)(姫路市)、大和地方の影響を受けた庄内型の甕が出土した鵤(いかるが)遺跡(いせき)(太子町)、讃岐地方の土器が出土した川島(かわしま)遺跡(いせき)(太子町)、大津茂川流域で最初の王墓と思われる丁(よろ)・瓢(ひさご)塚(づか)古墳(こふん)(姫路市)などです。 上記のような遺跡が存在する西播磨地域は、弥生時代~古墳時代の地域間の交流を研究をするうえでとても興味深い地域です。沖代遺跡もこの時代のムラのひとつです。
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