平成21年03月30日
「うまやレポート11」
加古川市野口町にある古大内遺跡こと「賀古駅家」
今回で、最終回といたします。
| 内容 | おかげをもちまして、埋め戻しも無事終了し、調査場所はこれまでと同じ静かな畑に戻りました。 周辺の方々のご協力は大変なもので、とても温かく、また興味をもって見守っていただきました。 最後に調査成果をできるだけ客観的にまとめておきます。 ①推定山陽道に沿って12世紀以前、12世紀ごろ、近世の溝が見つかった。 それぞれの溝はほとんど場所がかわっていない。 ②賀古駅家推定地の東辺に沿って溝が見つかった。 溝には大量の瓦が捨てられていた。 瓦と一緒に捨てられていた土器は奈良時代のものであった。 ③平安時代おわりの建物跡、溝が見つかった。 の3点に集約されます。 そしてこの3点を解釈しますと、 ①-ⅰ 古代の官道が平地を通るときは道の両側に側溝を掘っているので、山陽道の側溝である可能性が考えられる。 ①-ⅱ 結果、推定されていた場所に山陽道が通っていたという確率が高くなった。 ②-ⅰ 奈良時代の遺物と共に瓦が見つかったので、推定地が賀古駅家である可能性が高くなった。 ②-ⅱ 賀古駅家であるとすれば、東辺が確定した。 ②-ⅲ 賀古駅家の遺構はこれまで確認されていないので、初めてのこと。 ②-ⅳ 地割から想定されていたとおりの場所から東辺が見つかったので、他の3辺についても推定どおりである可能性が高くなった。 そうであれば、布勢駅家と同規模となる。 ②-ⅴ 溝内から大量に出土した瓦は門のものである可能性が考えられる。 そうであれば、門は東辺中央ではなく、南に寄っていることとなる。 ②-ⅵ 瓦が大量に出土した場所に向って、推定山陽道から道状の高まりがある。 道状の高まりは推定山陽道に直交する方向に延びている。山陽道から東門への進入路であるかもしれない。 ③-ⅰ 平安時代おわりごろまでには、周囲に建物などができ、駅家としての統制がおよばなくなっていたと考えられる。 ということになります。 「そうであれば」といった仮定を重ね、仮定どうしが寄りかかっているような話ですが、これまでの推定の確率が上がったことは間違いないでしょう。 駅家である決定的な考古学的証拠は「文字資料」です。 「駅」「賀古駅」といった文字が書かれた遺物が出土しない限り、極めて高い確率ではあっても、いいきれないのは確かです。 そういう意味では、現在確実なのは布勢駅家の小犬丸遺跡だけです。 いろいろと、成果はあったのですが、一番の成果は地中に遺跡が残っていたということです。 これまで、壊滅的な被害を受けていたと思われていたのですが、今回の調査により、もっと具体的な駅家像に迫れる可能性が出てきました。 なんとか、今後も継続して調査ができるように努力してみたいと思います。 また、他の道、駅家についても県下全域を対象にして、広く浅く全体像について調査していきたいと考えています。 駅家研究の先端地である兵庫として、全国に情報を発信していきますので、今後もご期待下さい。 長らくのご愛読、ありがとうございました。 (学芸課 中村) |
|---|















