HOME > ひょうご考古学情報 / ひょうご考古学トピック
ひょうご考古学トピック

記事詳細


平成21年08月09日
「石野博信、考古学ここだけの話 vol.15」
もったいないので公開します!

石野館長が初夏に、当館ボランティアのために語った
「ここだけの話」です。

内容 「古墳の上の建物」-奈良県 桜井茶臼山古墳の調査-

 今日のテーマは「古墳の上の建物」ということにしています。基本的にはこのトークでは兵庫県の遺跡のことを中心に話していきたいと思っているんですけど、明後日、奈良県で大きな古墳の上に、今まで見たこともないような、電柱みたいな大きな柱を使った、かなりでっかい建物、あるいは柵の柱がでてきております。
 その発表が明後日の夕方ですから、土曜日の新聞などでひと騒ぎなりそうです。以前の纏向遺跡のときと同じように、すこし解説をさせてもらいます。
 ただ今回の話はちょっとややこしくて、歴史的な背景とかを考えると中国まで絡みそうなので、今日で話が終わらなかったら、「来月に続く」ということになるかもしれません(笑)。 
 まあ、そんな感じで始めたいと思います。
 まず、1番に地図を見て下さい。奈良盆地の東南のところ、町の名前でいうと桜井市、天理市のところに大きな古墳、初期の大和政権発祥の地と言われている古墳のマークが入っているところが、おおやまと古墳群です。
 年代は3世紀の後半から4世紀の中頃、大王墓を含む全長200mクラスの古墳が、この地域に4基ほどありますね。
 そこで真ん中あたりで丸印ししているのが箸中山古墳、箸墓。全長280mの古墳があります。もしかしたら、卑弥呼の墓ではないかといわれています。三輪山の麓にあります。地図の左上から右下の真ん中あたりにクネクネと流れているのが大阪湾に注ぐ大和川で、その大和川の南には全長200mクラスの古墳が2つあります。その1つが桜井茶臼山古墳、あるいは、外山(とびやま)茶臼山古墳とも呼ばれております。4世紀前半の全長200mあまりの大きな古墳です。
 それからすこし南にメスリ山古墳があります。全長220mくらいの古墳です。
 大和川を挟んで北側のグループと南側のグループが、同じ大和政権の古墳なのかどうかということについて、多くの人は、「そうだ、1つだと」と言っているんですが、私自身はこの2つは違うと思っています。下の2つの古墳は図の2番の測量図にありますように、後円部に対してほぼ長方形の前方墳がついていまして、普通にいう柄鏡形前方後円墳っていうふうに言っています。私は前方後円墳と言わずに長い突起のついた円墳、「長突円墳」なんて言っていますので円丘部に長方形の突起が付く形となります。(笑)
 いっぽう、北側のおおやまとの地域の古墳の前方部は方丘形ではなくて、台形にひらく形ですね。このような違いがありますんで、今回出てきた墳丘上の建物がおおやまと古墳群の中でも普通にあるものなのか、この南の2つの地域だけが特別なのかという点で発表後議論がにぎやかになるだろうと思います。
 外山茶臼山古墳は、今から60年ほど前に盗掘があって、それをきっかけにして橿原考古学研究所が発掘調査して報告書もでています。『桜井茶臼山古墳』っていう報告書です。そこでは、三角縁神獣鏡や内行花文鏡のかけら、盗掘の後ですからもとの数はわからんのですけれども、鏡が10数面でてきております。
 埋葬施設は竪穴石室です。幅が1mぐらいで高さが1.5m余、長さが8mぐらいの板石を積んでいる、かなり立派な竪穴石室で、木棺が残っていました。木棺は3番の写真でみてわかりますように底板と側板が写っています。
 この棺の構造については報告書では割竹形木棺と書いているんですが、底板のカーブ、下に粘土の圧痕があって、底板にも湾曲があるんですけど、その湾曲通り正円形で復元すると竪穴石室の幅よりも大きくなってしまいます、あれは割竹形木棺ではないだろう、私は組み合わせの木棺だろうと、25年ほど前に短い文章を書いて、木棺の名前を長持形木棺という名前をつけました。だいたいみんな反対しています(笑)。
 長持形石棺というのは、5世紀になると大王の棺として仁徳陵の大仙古墳の前方部からも出てきますし、大型の古墳に葬られるような人は、長持形石棺というような底石があって、側石が両方にあって、天井石があるという。そういう形の石棺に葬られるものだというふうになっています。
 それと同じ構造の棺を木で作っている。というのが、私の言い分でして長持形木棺と呼んでいます。しかし本当はこの名前あまり良くないですね。皆さんのなかで「長持」を見たことがない人。ないですか?みんな知っているんですか。それなら、使ってもいいのかな(笑)。
 まさか皆さんが結婚したとき、長持を担いでいってないと思いますけどね。昔の結婚式のときは、大きな箱にいろんな飾りをつけて、布団やらなんやら入れて、婿さんの家にいくんだという。田舎でもそんなのを見たことがありますけど、あの箱と同じ形の大きな石の棺なんで、長持形石棺っていう名前がついているんですけどね。それと同じように木でつくったものであろうと思います。
 余談ですが底板の真ん中に黒っぽい長方形の穴が見えますね。
 底板は厚みが15cmぐらいありますので、発掘調査のときに木質を調べるためにサンプル穴を調査した人があけたのか、あるいは最初からあいておったのかというのは謎です。最初からあけておったとすると、この穴の下に宝物を入れた穴があるのかもしれません。中国でそういう風習があるし、日本の古墳でも奈良県北原古墳などにそういうのがあります。古墳の棺の下に大きな穴あけていろんなものを入れている場合があるんですよね。珍しいですけどあります。この秋以降にまた調査するようですから、そのあたりはわかってくると思います。
 側板は調査が終わってから、近所の地主さんの家の倉庫に置いといたら、いつの間にか無くなったったらしく、今は残っておりません。それから、4、5に出土品の一部をあげておりますが、ひとつは玉杖。バトントトワリングに使うような短い杖です。長さが40~50cm程度のもので、碧玉製の管玉に鉄の芯を通して杖にしている。日本に2例だけです、外山茶臼山古墳と、隣のメスリ山古墳から出ております。極めて珍しいものです。
 それから図5の玉葉。これはよそから出ていません。碧玉を使った大きさが4cmぐらいの木の葉の形につくり、小さな穴をあけています。飛行機に乗って寝る時のアイマスクというのがありますが、玉葉は亡くなった人の目を塞ぐ葬具です。これは中国の風習です。日本の古墳で玉葉が出土した例は、他にありません。だから、変な古墳です。これらの他、銅製の鏃とか、鉄製の鏃とか、写真にあげておりませんが、出てきております。
 今回はそういう出土品ではなくて、古墳の円丘部の中心から出てきた図13は橿原考古学研究所が発表する復元案です。直径30cmぐらいの丸太を5m×7mぐらいの範囲に囲んでおり、同研究所は「丸太垣」と仮称しています。図10の写真はメスリ山古墳の埴輪の囲いです。それを立体的に復元的に書いたものが図9です。
 これが今回の発表のテーマになります。図7の真ん中に天井石が何枚か並んでいる竪穴石室があって、そのまわりにコの字型の四角い絵が描いています。コの字の中に変な印がちょこちょこ入ってますが、それがみんな壺です。この古墳(外山茶臼山古墳)は埴輪をつかっておりません。メスリ山古墳のように埋葬施設のまわりを埴輪でぐるっと囲んでいるのが普通なんですけれども、外山茶臼山古墳は埴輪を使ってなくて、60cmくらいの大きな壺をずらりと並べた状態で見つかりました。
 60年前は埴輪のルーツになる岡山の特殊器台は全く知られておりませんでしたから発掘調査した当時はこれが埴輪の起源だと言われました。大壺が置かれたのは6番の断面図で、左側の黒に塗っているところが竪穴石室の石室で、片方の石積みがあって外側に盛土があります。本来はその上に置いた壺が、転がり落ちてとまっていると。そういう図面です。これは古墳の円丘部に埋葬施設(石室)があってその周りに長方形の壇があり、その上に壺を長方形に並べておったということです。
 今回、その外側に直径30cmぐらいの柱をずらりと並べておったんではないかという遺構が一部の調査で出てきたということです。この古墳は竪穴石室とか木棺については調査済みで、土器も何にも残ってないんですが、国の史跡になっています。
 橿原考古学研究所が科学研究費をとって3年計画で研究している2年目です。昔掘った土を大量に埋めているのをとりながら再調査をやっているところで、昔は気が付かなかった電信柱みたいな柱が立っていることがわかりました。昔の調査成果は7の図面で、今回わかったのは8の図面です。
 というところで、時間となりましたが、少なくとも墳丘の上に大きな柵を巡らせてる。橿原考古学研究所は丸太垣っていう発表をします。
 この間から新聞やらテレビから取材されて、「あんた、どう思うか」と言うから、「あの柱は1.3mくらい地中に入っているので、ただの垣根とは思えない。その上に屋根がきっとあるに違いない」言いました。正確に報道されるかどうかわかりませんけれども、そう考える根拠は9番の埴輪の配置と、中国の「陵寝制度・りょうしんせいど」という制度-お墓の上に建物をつくって魂を守っていくという制度-が日本の古墳時代に入ってきているのではなかろうかということを、20年ほど前から尼崎市の田能遺跡とか川西市の加茂遺跡の調査からずっと思っていまして、ついにそれが現れたかという思いで、建物があるあるっていうふうに言いまくっております。
 本当かどうかは、報道を見てみなさんで考えてもらって、来月にあれはどうやったかいうことを、聞かせてもらったらと思います。
ということで今日は終わります。
「石野博信、考古学ここだけの話 vol.15」
資料 関連資料
ひょうご考古学情報 発掘調査情報 ひょうご考古学トピック 考古学情報バンク 兵庫県のおもな遺跡 館蔵品紹介
博物館の刊行物
考古学であそぼう 博物館活動に参加しよう! メールマガジン