テーマ1人 わたしたちの由来

6謎の明石人

これは明石市西八木海岸で見つかった、人の腰の骨の一部、(かん)(こつ)の模型で、明石人骨と呼ばれています。実物は昭和20年のアメリカ軍による空襲によって焼失してしまったため、東京大学に残されていた石膏型(せっこうがた)をかたどりして作りました。

この明石人骨は、昭和6年に、博物館の南西約8㎞にある明石市の西八木海岸で発見されました。発見者は後に早稲田大学の教授になった、古生物学者であり考古学者でもある直良信夫さんです。明石人骨について直良さんは、旧石器時代の古いものだと考えていましたが、当時はまだ日本に旧石器時代があったのかどうかさえ、わからなかった時代でしたので、この人骨は評価が定まらないまま、戦災で失われてしまいました。

戦後になって明石人骨は原人段階の古いものであるとの説が発表され、日本最古の化石人骨として「明石原人」の名で教科書にものりましたが、その後の研究できわめて新しい人骨との説も出され、現在も論争が続いています。明石人骨はいったいいつの時代の人類の骨なのでしょうか。明石人の正体をさぐる研究はこれからも続きます。