23.初期の釘・鎹(かすがい)

朝鮮半島から持ち込まれた木材を固定する技術で、木棺の各部材を固定するために使われた例がほとんどである。古墳時代中期(5世紀)から徐々に採用され、広がっていくが、兵庫県内には全国的にみても突出して古い例が知られている(弥生時代末の立石墳墓群の鎹。50㎝程度の木箱の固定具として使用された可能性がある)。

5世紀以前の例は全国で31遺跡が確認されている(亀田2004年)。その分布は北部九州から滋賀県までの西日本にまとまっている(例外は群馬県の鶴山古墳がある)が、特に、摂津、河内、大和、播磨、備中に多い。

朝鮮半島では、鎹のみ使用されている古墳は新羅から加耶地域に多くみられ、特に埋葬施設との関係から金海、釜山、昌寧などの加耶東南部地域との関係で日本にもたらされた可能性が高い。

一方、釘と鎹の両者が出土する地域は、朝鮮半島ではソウル、天安、原州などの百済地域と高霊、陜川、咸安などの加耶中西部地域である。日本では3例が知られているが、そのうちの一例は加古川市の池尻2号墳である。他の2例が木棺直葬であるのに対し、池尻2号墳は竪穴式石室であることからも、半島系の影響が色濃くうかがえる資料である。

葬送の場面においてどのような理由で半島系の要素が認められるようになったのか、今後の研究に期待される。

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<参考文献>

亀田修一2004「日本の初期の釘・鎹が語るもの」『考古学研究会50周年記念論文集 文化の多様性と比較考古学』考古学研究会